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第24話 第四章:見えない糸

作者: 峯岸昴
last update 公開日: 2026-10-28 15:31:48

 翌日の早朝。

 昨夜、私は裏情報屋の『カラス』へ連絡を取り、残る中継設備や犯人の足取りを追うよう依頼した。

 だが、犯人が構築した強固な分散型ネットワークの壁は厚く、カラスの腕をもってしても解析には時間がかかるとのことだった。

 デジタルな手掛かりを待つ間、私は雨の街を一人で這いずり回り、事件の端緒を探し続けた。だが、警察の情報網から外れた丸腰の刑事一人の足で、姿なきテロリストの尻尾がそう簡単に掴めるはずもなかった。

 だからこそ、私はここへ戻ってきた。

 私は、新宿署の特捜本部が置かれている道場へ足を踏み入れた。

 胸ポケットのあたりが、ひどく軽い。

 身分を証明する鉄の板が一枚ない。それだけで、長年通い慣れてきたはずの署内の空気が、まるで他人の家へ勝手に入り込んだかのように冷たく、余所余所しく感じられた。

 昨日、電話越しに聞いた郷田の声が、耳の奥で不快に蘇る。

『お前のその真っ直ぐで泥臭い正義感を、私は高く評価している。私の指示通りに動き、これ以上勝手な真似をしなければ、お前が内通者にされることはない』

 ねっとりと首輪を握り締めるような声。

 私を内通者の身代わりに仕立
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  • 椅子に座りますか   あとがき

    あとがき最後まで『椅子に座りますか』を読んでくださり、本当にありがとうございました。 この物語を書き終えた今、改めて見返すと、『椅子に座りますか』という言葉は、私が最初に考えていた以上に、たくさんの意味を持つ言葉になったように思います。物語の始まりにあったのは、満員電車の中にある、たった一つの優先席でした。 「疲れている」「座りたい」という誰にでもある感情のすぐ隣に、「それでも、この席をもっと必要としている人がいるかもしれない」という、ほんの少しの想像力を持てるか。 自分が少しだけ損をして、誰かに席を譲る。その小さな行為の中に、人間の優しさの原点があるのではないか。そんな思いから、この物語は始まりました。そして物語が進むにつれ、「椅子」は少しずつ姿を変えていきます。 誰かより上に立つための椅子。権力者だけが座ることのできる特等席。 そして、匿名という壁に守られ、安全な場所から他人の人生へ石を投げる「観客席」という名の椅子。問題なのは、椅子に座ることそのものではありません。 一度手に入れたその「心地よい席」を、必要な時に手放せるのか。そこから立ち上がれるのか。誰かへ譲ることができるのか。 それを根底に置きながら、私はこの物語を紡いできました。そして本作を通して、サスペンスの奥でもう一つ描きたかったテーマがあります。 それは、「人は、誰かのために変わることができるのか」ということです。物語の終盤、ジョウの義父である真下修造が遺した手紙に、その答えがあります。 修造は、最初から強い人間でも、立派なヒーローでもありませんでした。かつての彼は、組織の事なかれ主義という泥沼の中で、自分が正しいと思うことよりも、立場や命令を優先してしまう弱さを抱えた警察官でした。そんな修造を、命を懸けて市民を救う「本物の刑事」へと変えたのは、一人の少年の存在でした。 理不尽な現実へ放り出されたジョウが、いつか憎しみに呑まれ、悪へ染まってしまうのではないか。そう危惧した修造は、言葉で「正しく生きろ」と説教するのではなく、自分自身の生き方を変える道を選びました。役職が上か下か、相手が権力者か否か、自分が損をするか。 そんなことは関係ない。目の前に助けを求める命があるなら、泥水をすすってでも守り抜く。 修造が変わったのは自分のためではありません。ジョウという一人の少年を、暗闇から守る

  • 椅子に座りますか   第91話 最終章 椅子に座りますか

     * * * 密室の電子ロックが解除されたのは、あの日から二日後だった。「……ユウ! いるか、ユウ!」  パスワードのタイマーが切れ、開錠音が響いた直後。私は重い鉄扉を押し開け、アジトの中へ飛び出した。  しかし、弟も、カラスたちもいない。  乱雑に散らかった機材と、死んだような静寂だけが残されていた。  息を切らしながら部屋を見回したその時、部屋の奥でつけっぱなしになっていたテレビへ目が止まった。 画面には、国会議事堂前に集まった大量の報道陣と、ブルーシートに覆われたおぞましい血だまりの映像が映し出されていた。それは真昼の惨劇を報じる、繰り返しのニュース映像だった。『――国会議事堂前のテロ主犯死亡事件から、今日で二日が経過しました。死亡した主犯の男は、なんと久我幹事長の息子である久我晃生氏であると見られており、政界には激震が走っています』  アナウンサーの沈痛な声と共に、別の映像へ切り替わる。 『また、起爆を試みるテロリストに単身飛びかかり、身を挺して惨劇を阻止しようとした結果、やむを得ない制圧射撃に巻き込まれて殉職した日下部巡査の遺体は、本日無言の帰宅を果たし――』「……は?」  私はテレビへ釘付けになったまま、全身から一気に血の気が引いていくのを感じた。 心臓が鷲掴みにされたように痛む。 死んだ? ユウが? 日下部が、殉職? 馬鹿な。そんなはずはない。「なんでだ……どういうことだよッ!!」  私はモニターへすがりつき、叫んだ。画面を両手で叩き、信じられない現実を否定しようと声を振り絞った。 「お前たち、議事堂を爆破するって言ってたじゃないか!! なんでユウが議事堂の前に立ってるんだよ!! なんで日下部が、一緒に死んでるんだよ!!」 混乱する頭で、ニュースが伝える断片的な情報と、現場の映像を必死に繋ぎ合わせた。  ユウはあの残酷な国会議事堂爆破計画を中止した。  奴隷たちを解放し、代わりにたった一人で白日の下、マスコミの前へ現れ、久我家の闇を告発した。  そして現場に駆けつけた日下部の目前で、隠していた起爆装置を操作しようとしたため、警察の指示により射殺されたという。「……違う」   私は震える両手で頭を抱え込んだ。  あいつが、ユウが、日下部の前でそんなことをするはずがない。 ユウが日下部を傷つけるはずがない

  • 椅子に座りますか   第90話

     画面を覗き込んだ久我晃一郎の目が、限界まで見開かれた。  そこには、無数のマスコミのカメラに囲まれ、拡声器を構える『死んだはずの息子』の姿が生中継で映し出されていた。 「……馬鹿なッ!」  久我は椅子を蹴り倒すようにして立ち上がった。 顔面は怒りと焦燥で土気色に染まっている。彼は周囲のどよめきを完全に無視し、議場を飛び出してエントランスへと向かって猛然と歩き出した。 「久我幹事長! いかがなされましたか!」 議場の隅で警備に当たっていた郷田管理官が異変を察知し、完全武装したSPたちを引き連れて慌ててその後を追う。 分厚いガラス張りのエントランスに辿り着き、外の広場を見下ろした彼らの耳に、絶望的な声が飛び込んできた。 「俺は久我晃生。一連のテロ事件のすべてを、俺一人でやった!」 ユウの声が白日の下へ響き渡った瞬間、包囲していた報道陣から割れんばかりの絶叫が上がった。  死んだはずの次期総理候補のご子息がテロの主犯であったという、国家の根底を覆す異常事態。全国のテレビ画面にその顔がハッキリと映し出される中、ユウは持っていた鞄を高々と掲げた。「そして、これが久我家が今まで裏で手を染めてきた、すべての汚職、脅迫、そして殺人の証拠だ!!」  ユウが鞄を逆さに振ると、大量の書類とUSBメモリが空へ向かって放り出された。 白い紙片が、まるで真昼に降る雪のように、国会議事堂前の青空を美しく、そして残酷に舞っていく。「証拠書類だ! 一枚でも多く回収しろ!!」 「カメラ、あの書類の束をズームしろ!!」  群がってきた記者たちが、我先にと地面に散らばった紙の束を拾い集め始めた。 それは、特等席に座り続けてきた権力者たちを社会的に引きずり下ろすために、ユウの最初で最後の告発だった。「ふざけるなッ! 貴様、何をしている!!」  ガラス越しにその光景を見た久我幹事長は、エントランスの扉を押し開けて外へ転がり出るように飛び出した。  自分たちの隠蔽してきた最大の汚点が公衆の面前に晒され、あろうことか報道陣がその証拠を全国中継のカメラの前で拾い集めている。 すべてが手遅れになりかけていると悟った久我は、蒼白な顔で背後に続く郷田管理官を振り返った。  その狂気と焦燥に満ちた目配せで、何かを伝えた。 郷田は忌々しそうに舌打ちし、凄まじい殺気を放ちながら完

  • 椅子に座りますか   第89話 

     全員が息を呑み、画面の中で国会議事堂に鋭い警報が鳴り響き、あの残酷な地獄の幕が上がるのを、身を乗り出して待った。 しかし、何も起こらなかった。 数秒が過ぎても、さらに重苦しい時間が経っても、国会議事堂は死んだような静寂を保ったままだった。  爆炎の兆しとなる煙も上がらなければ、地を揺るがす轟音も聞こえない。警報も鳴らなければ、システムが作動した痕跡すらない。  真昼の眩い光にすっぽりと包まれた議事堂は、澄み切った青空の下で、ただ冷たい威容を誇っているだけだった。「どういうことだ!? なぜ作動しない!」  門別が激情に駆られ、パイプ椅子を乱暴に蹴り倒して立ち上がった。 「馬鹿な、タイマープログラムが走らない……ッ!」  カラスも血相を変え、喰らいつくようにキーボードへ向かった。凄まじい勢いで指を走らせ、何度も、何度も手動での起爆システムへのアクセスを試みる。 しかし、黒い画面に無慈悲に叩きつけられるのは、赤い警告文字と、システムからの完全な拒絶を示すエラー表示ばかりだった。 「ダメだ……起爆システムへのアクセスが完全に弾かれてる! 誰かがマスターパスワードを書き換えて、俺たち全員をシステムから締め出してる……ッ!」 その直後だった。  ガチャンッ!! という、まるで断頭台の刃が落ちたかのような重苦しい金属音が、アジト中に響き渡った。 「な、なに!?」  深川が悲痛な声を上げて叫ぶ。 それは、アジトの唯一の出入り口である頑丈な防音扉の電子ロックが、外側から強制的に、そして開かないよう施錠された音だった。 「扉が開かない! 閉じ込められたぞ!」  門別が扉にすがりつき、ノブを乱暴にガチャガチャと回すが、分厚い鉄の扉はびくともしない。「嘘でしょ……そんなことできるの、ユウ以外にいないじゃない!」  相田が悲鳴に近い悲痛な声を上げ、震える指でスマートフォンを取り出した。画面をタップし、何度もリダイヤルを押すが、耳に届くのは無機質で冷たい呼び出し音が繰り返されるだけで、ユウが電話に出ることは決しなかった。 「お願い……電話に出てよ、ユウ……! なんで、どうして……!」 全員が理解の及ばない事態に陥り、完全な混乱と焦燥の濁流に呑み込まれかけた、まさにその時だった。  壁一面を占めていたアジトのメインモニターが、前触れもなく突然暗転し

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  • 椅子に座りますか   第87話

     私はユウを真っ直ぐに見据えた。「あの現場に残されていた遺体は、細胞の判別もできないほど激しく損壊していたと聞く。……あれは、一体どんなカラクリでやったんだ?」 私の問いに、ユウは一瞬だけ目を伏せた。 そして、感情の読めない静かな声で答えた。「カラクリなんかじゃないよ。……あの現場には、本当に『久我晃生』の遺体があったんだ」「……なに?」「彼は、脱獄犯だよ。僕らが裏で手を貸して脱獄させた。そして、骨格が久我晃生に似ている彼を選んで、顔を変えさせたんだ」「なっ……!」 耳を疑った。 次の瞬間には、胸の奥から激しい怒りが一気に噴き上がっていた。「ふざけるなッ! お前……自分がどれだけ恐ろしいことを言っているか分かっているのか!」 私はユウへ詰め寄った。「人の顔を変え、身代わりの駒にするなんて……それじゃあ、久我晃一郎がお前にやったことと全く同じじゃないか!! しかも、なんで殺した!!」 私の怒号を受け、ユウの表情に僅かな苦痛が走った。「彼を殺す気はなかったよ……」「じゃあ、なぜ死んだ!」「顔を変え、権力の座に就いたことで、彼自身が変わってしまったんだ」 ユウの声が沈んだ。「彼はやっぱり、根っからの犯罪者だった。『久我晃生』として特等席の力を手に入れた途端、弱い者を平然と脅し、虐げ始めた。しまいには……その権力を盾にして、俺たちまで脅してきたんだ」 苦しげに語るユウを見ながら、私は彼自身もすでに深い泥沼の中でもがいているのだと感じた。「……まだ、引き返せるんじゃないか?」「はっ! 何言ってんだよ!」「お前、本当はこんなことやりたくないんだろ!」 私が叫ぶと、ユウも感情を抑えきれなくなったように声を荒らげた。「このまま放っておけば、久我晃一郎が総理大臣になる! そうなれば、日本では路頭に迷う人間や、不幸になる人間がさらに増えるんだぞ!」「だからって、殺していい理由にはならない!」「兄さんは分かっていない!」 ユウの声が部屋に響いた。「久我は周りを完全に固めている。政治だけじゃない。警察、大手企業、マスコミの中にも、久我に力を貸す人間がいる。このまま見て見ぬふりなんてできない!」 私は悲しさを押し込めるように首を振った。「分かってるよ、ユウ。だけど、議員全員が悪いわけじゃないだろ。中には、それこそ現総理の神谷みたい

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